2003
12.12

STORY 07 : vehicle-1

かつては車はたくさんの夢を見させてくれた。
幼い頃より車好きで6~7才の時は道路の横で車の名前を言い当てるのが好きだった。それと言うのも子供だからと言うことだけでなく、その頃は所有する事自体現実的ではなかったから興味はただならぬものだった。丁度その頃はクラシックカーのような形の黒塗りの物からモダンなデザインに変わり始めていた。その時代特有のめざましい変化の速さが楽しかったのかも知れない

国産車のメーカーも今より多くオリンピックに向けてモータリゼーションなんて言葉が使われ始めた。ハイウェイが出来、道も整備され車さえあれば行きたい所へ行きたい時に行ける様な気がした。そして60年代に現れた数々の今となっては名車と呼ばれる日本車は少年の心にもどきどきさせた。
モータースポーツも盛んになりメーカー達が世界に飛び出した。そこで聞こえてくる地名などを憶え世界というものに想像を張り巡らせた。そうだから車はたくさんの夢を運ぶ不思議な乗り物だった。

Marooned / LARRY LEE (1982)
邦題はロンリー・フリーウェイ、ジャケ写も日本仕様の物。82年あたりはタイトルやスリーブヴィジュアルの差し替えがもっとも盛んな頃で良くも悪くもあり、ただ僕の仕事上では都合のいい事だった。このアルバムの場合は商業的には大成功。サウンドはこの鈴木英人氏のイラストのように青空の下、フリーウェイを駆け抜けるような軽快な気分にさせてくれる。

Who’s Foolin’ Who? / FRANKIE BLEU (1982)
邦題は潮風のバラード。ジャケ写も上のと同じく日本盤用差し替えのもの、サンタモニカのPCHかな。夜のドライブ向き、二人の女性に向けた2曲がメローで心地よい。僕もこの曲達の入ったオムニバス版のカセットカバーの写真を提供した

僕が通っていた小学校にポニーカーと呼ばれた白いマスタングが送り迎えに来ていた。何処を見ても素晴らしく美しく見えた、初めてのアメリカ車との出会いだ。日本車とはデザインや大きさ、速さ、全てのスケールが違っていた。流れるラインのそのおおらかさ、豊かさは少年の眼に焼き付いてずっと離れない。まさに夢見る車の代名詞の様な存在だった。

64′ FORD MUSTANG
1964年に発売されたこの車はアメリカではスポーティカーの割には比較的安価だった為か、大変な人気を博し生産が全く間に合わない程だった。当時の日本に何台有ったのかは解らないが余りみた憶えはない、その頃見た輸入車はドイツ製のセダンが殆どだった。今見るとそんなには大きくはないがホイールやエンジンサイズ、馬力は当時の国産車のそれとは比較にならないもので圧倒された。

All Summer Long / BEACH BOYS (1964)
サーフィンやホッドロッドなどをサウンドテーマにしてたせいか余り評価は高くないようだが、同じ頃活躍していたビートルズと較べても引けは取らない才能あるグループだった。マスタングのデビューと同じ年に発表されたこのアルバムは、同じコンセプトを持ったプロダクトのような気がする。日本で大ヒットしたリトル・ホンダなんていう曲も入っている。日本のモーターサイクルや車が輸出され始めた頃だ。 

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