07.08
フォトグラファーのホームページなのでたまには写真の話をしようかと思う。
こんな仕事をしているとよく聞かれる質問にカメラはどのメーカーが良いですかとか、レンズやフィルムはとか聞かれる。余り機材には興味がなくて、自分が使っている物しか解らなくそれも使う機能の所しか知らないので答えに苦労する、つまり不都合が少なければ何でも良いと思っている。レンズなんかは単焦点が3~4本もあれば十分で、普段は殆ど2本だけで仕事を済ませている。本当に大事なのは画角や画質ではなく、感性と行動力だと思う。
プロのカメラマンになるにはどうすればなれますかというのもよく聞かれる質問だ。
写真家、フォトグラファー、カメラマンといろいろと肩書きがあって全て違う事だと僕は解釈している。ただ全てに共通していることはクリエイター(創造者)であると言うこと。だからまずはクリエイターに成らなければ始まらないと思う、そういう意味ではやはり機材なんかはとりあえずどうでも良いことになる。クリエイティビティこれが全てのものに対するキーワードだ。
Down Two Then Left / BOZ SCAGGS (1977)
6曲目のHollywoodに撮影現場裏の事が書いてある。
写真学校にいた頃よく聴こえてきた曲だ。まだAORなんていう言葉がない頃だったが、バックミュージシャンだったTOTOなど排出し、後にこのジャンルの大御所として黎明期を代表する一人となっている。
今でもウェスタンのモデルシューティングの時にこの曲を想い出す。
First Camera / Canon F-1
写真学校に入りたての頃は兄のペトリV6を譲り受けて使っていたが、その後フォトグラファーを目指し初めて買ったカメラがこのキヤノン F-1。機材としてのカメラに思い入れは殆ど無いがこれだけはちょっと違う。新聞社経由で安く買ったので偶々オリンピック記念モデルになっているが、刻印された1976は写真家を夢見てスタートした年で傷だらけの戦友みたいな物。
There Goes Rhymin’ Simon / PAUL SIMON (1973)
アルバムの最初にKodachromeという曲がある、Kodachromeとは米国コダック社が発売しているカラーポジフィルムの商称、僕も長いこと愛用していた。このフィルムが無ければ今の自分も無い特別な物。歌詞の中にコダクロームとニコンを手に入れて世界中の太陽の光を手に入れたというフレーズがあって、僕はキヤノンだったけどまさしく僕はこれで世界中の太陽の光を手に入れた。
コダックにはプロ用ポジフィルムがコダクロームとエクタクロームと2種類あり、前者は1935年に 発売され世界最古のスライド用フィルム。前者と後者では製造、現像の行程がまったく違いコダクロームは扱いが難しいが微粒子で条件と腕が良ければ素晴らしい発色を見せる。その美しさはいつも僕達をどきどきさせてくれた、古き良き時代の感材、出会えて良かったと本当にそう思う。
Gentle Travelin’ / KINGO HAMADA (1981)
3曲目のAmerican Nightは日本を離れ遠くLA.のスタジオでカメラアシスタントをしている切ない男の想いを書いた楽曲。
当時は海外でアシスタントをするなんて考えもしなかったけど、1年から2年人生がずれたらこうなっていたような気がする。
アルバム全体にLA.の匂いがするJ-AORの傑作中の傑作。
最近は写真という言葉の定義も崩れてきて僕のいた写真学校もビジュアルアーツなんて名が付いている。そう写真なんてビジュアルが形成する一つの要素に過ぎない、そこに拘る必要は無くなってきている。だからそれを職業するための道は幾らでもあり、アプローチ次第ということだと思う。僕の時代はレンタルスタジオに入って長時間を僅かな賃金で修行するのが普通だった、これがまた常軌を逸した所で精神の病なる者が続出する世界。勿論非常に勉強になるところではあったが、そのつらさに耐えられたというのが一番の収穫と言えるかもしれない。
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