2003
01.22

STORY 01 : windsurfin’

最初になる今回は、そんなに本気でやっているわけではないけど、いろいろと関わり合いがあるウインドサーフィンとの出会いを話そう。70年代後半、サーフィンブームに乗って、よく車にサーフボードを積んで第三京浜を飛ばし辻堂あたりに出かけるようになっていた。
その頃から少しずつ見るようになったのがウインドサーフィンジャパン社のサーファー挺と呼ばれるポリエチレン製のセイルボードで、まだその時はそんなのを横目で見ていた。

Silver/SILVER (1976)
彼等はこのアルバムしか残していない、こんな素敵な曲達を残してどこへ行ったのだろうか。イメージすると週末の朝の第三京浜下りに似合うアルバムかな。特にB面のWham Bamなんか窓を全開にして片肘出して聴くといい感じ、車はボロい方がいいな。

Life Line/PABLO CRUISE (1976)
その頃聞いていたレコードがパブロクルーズ二作目のこのアルバム。
初めて聴いたのはまだ人気も少ない六月の新島で当時羽伏海岸に一番近かった民宿でのこと。その極普通の民宿には外国人サーファーが多数滞在していて、彼らが大音量で繰り返し聴いていたのがこの中のZero To Sixty in Fiveだった。邦題はフリーライドサーファー、ドライヴ感のあるサウンドは海に入るまえのイメージトレーニングに最適だったのだろう。

そう、新島といえば当時は夏場の喧噪が今とは比べ物にはならないぐらい凄まじかったのだが、その時期以外のこの島はとても静かでのどかな所。小さな空港も見事に簡素で海岸も整備されていなくローカルムード漂うヒーリングプレイスだった。

Habushi Beach /Niijima
かつての羽伏海岸の入り口、今はこの小屋はなく両端にコンクリートの建物が海の前に立ちはだかっている。
本当に気持ちの良い場所だったのに、なんでそんなことをするんだろうか

461 Ocean Boulevard/Eric Clapton (1974)
この頃の新島は結構レイドバックしていてマイアミで録音されたこのアルバムが持つ雰囲気が似合っている。461 Ocean Boulevard とはジャケットに写っているこの家の住所、僕も近くに行ったことがある。マイアミビーチから海岸沿いの道を10マイル程北に上がったゴールデンビーチにこの家はあった。晴れた昼下がりに聴くとウトウトしていいかも

話が飛んでしまったが、初めてウインドサーフィンを買ったのは渋谷にある丸井、1981年の5月の中頃だったと思うが、それは目を引きつけるように店頭にディスプレイされていた。今ではとても考えられないけど、黎明期にはそんな華やかな時期もあり、何を考えたのかお金も無く乗れもしないのにローンを組み衝動買い。
それから友人の伝手を辿り数少ないウインドサーファーに出会い教えて貰うことになる。その頃は全てのセールに固有のナンバーが振られ、グループ単位で活動するように指導されていたようで、当時六本木を拠点としていたフリーキーブロスというフリートに所属した。

初めてのゲレンデになった場所は時折雨が降る江ノ島海岸西浜。ボードはサーファー艇ではなく、その年に発売されたジェットという名のツインフィンでマストが多少前後に移動できるニューカマー。もうブームもジョイントのベースも木製ではなかったが、それでも重量はまだかなりあり現在の3倍から4倍、付いてきた大きなセンターボードは木製で手で脱着する方式だった。

乗りこなすのは思うより難しかった。当時23才だったがその時でも体力的にきつく、既に始めるが遅すぎたと思った程。五月後半から始めてそれからは毎週のように日曜の湘南通い、幾度か江ノ島まで流されるハプニングもあり、何とか風を捕まえられるようになったのはもう海も賑わう八月の始めになっていた。その時期はもう江ノ島海岸西浜は海水浴場になり七里ヶ浜の駐車場下に移動、そこでウインドサーフィン初めての感動の時を迎えた。

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